バックエンドの仕事では「キャリアを積めない」のでしょうか。企画職に替わりさえすれば、果たしてあなたは「キャリアを積める」のでしょうか。
例えば再編問題で揺れ動くプロ野球界、観衆の注目はスター選手にこそ注がれても「バックエンド」で彼等のプレーを支えるグラウンドキーパー達の手腕が意識されることはまずありません。それどころか「あの人達はアルバイトでしょ?」なんて思っている人が殆どでしょう。とんでもないことです。彼等は足裏の研ぎすまされた感覚でコンピュータ解析でも計測できないような微妙な傾斜や表面からは判別不能なグラウンドの下層の状態をも瞬時に読み取る。何年もの修行に裏打ちされた長年の経験と勘がなくては、スター選手の華麗なプレーなど観られようはずもないのです。彼等の巧みな技を、心意気を、生き様を「キャリア」と言わずに何と言うのでしょうか。
話は飛びますが、子供の「〜になりたい」には邪念がありません。少なくとも「有利不利」などの損得勘定は微塵もないでしょう。もしあるとすれば、それは愚かな親が無理矢理押し付けたものです。汚れのない純粋な感動と憧れを、腐った大人達が奪い去って行く・・・。子供にとっては迷惑以外のなにものでもありません。
古き善き時代の美学であったコモンセンスも何処へやら、今の世の中には多種多様な価値観があります。目立ちたがり屋がいれば縁の下の力持ちもいる。不幸にもお金だけが唯一の友達という人もいるでしょう。人との関わり方、モノとの関わり方、そして仕事との関わり方にも色々な形や考え方があるものです。
しかしながら、少なくとも「キャリア」とは、職務経歴や肩書、出世、市場価値などの薄っぺらな意味で使うべきものではありませんし、あなたの仰る「転職市場」でも、職種の違いがその人に対する評価を左右するものではないはずです。そもそも「キャリア」とは「人の生き様そのもの」であり、本来の意味の「キャリア」には「貴賤」もなければ「有利不利」もありません。どんな職種に就こうが、どんな仕事をしようが、自分の行いに誇りを持てれば、自分に負けなければ、ふと振り返った時に、そこには最高のキャリアが積み上げられているに違いないと思うのですが・・・これも多種多様な価値観のひとつに過ぎないのでしょうか。