元来「出世」とは、仏が衆生済度(しゅじょうさいど)の使命を帯びて、目に見える形となって世に生まれ出る意味で使われました。「衆生済度」とは、簡単に申し上げれば、現世の諸悪に苦しむ民衆に対し、救いの手を差し伸べ、獣道から守り、悟りの道へと導くことです。
聡明な方ならもうお判りでしょうが、「出世」とは、他者との競争や横並び意識のためにある言葉ではないのですよ。戦う相手は何時も自分自身、つまり、自己の「甘え」や「怠惰」であったり「邪心」や「驕り」なのです。
何が幸せで何が不幸なのか、何に価値観を求めるのか・・・これは人それぞれでしょう。金銭に固執する者は隣人より一円でも多くを得たいと願い、地位に固執する者は何とかして隣人を支配したいと画策する。煩悩に没すれば、確かにこの世は不平等かも知れません。ですが「盛者必衰」「驕れるものは久しからず」の如く、生を授かり、死に至るという点では誰もが平等です。
肝心なことは、あなたがこの世に生を授かった意義、つまり、人として(世の中、隣人、家族に対し)何をなすべきか、ということではないでしょうか。今この瞬間に何ができるか、明日何ができるか、10年後に何ができるか、生を終えるまでに何ができるか、ということです。確かにそのためには財や地位も必要かも知れません。ですが、財や地位というものは、焦って奪えばいずれ身を滅ぼす一方、我が身を省みて人徳を積む者に対しては、時期を待てば自ずと整ってくるものです。
今回は、やや宗教めいたお話になりましたが、私は坊さんでもなければ、どこぞの新興宗教の信者でもありませんので、誤解のなきよう、お願い申し上げます。